新潟県旧山古志村を訪ねる

平成16年10月23日に起きた中越地震で、この村は全村民避難を強いられたのです。

GWということで急遽決めたツーリング。連休初日の4月29日から30日にかけての震災と向き合う旅。初日に福島県喜多方市を訪れたあと新潟県長岡市まで来て宿泊。そして2日目がこの旅の本題となります。新潟県長岡市山古志地区は当時まだ合併前で山古志村という村でした。そして6年半前、中越地震で強い地震に見舞われた上、土砂崩れでできた自然のダムに川が堰き止められ村が水没するという被害に遭いました。

3年に渡る全村民避難生活からようやく村民は市民となって山古志に戻られました。それから3年。力強い復興を見せるこの地域を東日本大震災直後に訪れておくことに意味があるかもしれない。というのが今回、南東北と長岡を訪れた理由な訳ですよ。

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山古志は棚田が美しい村として以前から有名でした。幾重にも重なる山々の斜面を棚田が広がりますよ。夕陽が当たると滅茶苦茶綺麗らしいですなぁ。このあたりは災害の爪痕までは感じられない復興ぶり。

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また山古志は錦鯉でも有名で多くの養鯉場があります。それだけに全村民避難のときも鯉を置いていくことに葛藤した方が多かったと聞きます。あと、動物で言えば闘牛(牛の角突き)が盛んで牛たちの避難も話題になりました。

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旧山古志小跡地に建つ山古志復興住宅竹沢団地の裏手から。恐らくここが棚田が一番綺麗に見える場所。天皇皇后両陛下も復興状況をご視察にこられた場所でもあります。

ここまで見る限り大きな災害の痕跡を見ることはできず、見事なまでな復興力だなぁ・・・くらいに思っていました。しかし、この後に訪れた木籠地区で見た光景に心が大きく抉られました。

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木籠地区は中越地震の時に芋川が堰き止められてできた堰止湖に水没しました。今は高台に集団移転して新たな生活を送られていますが、あの震災の恐ろしさを後世に伝えたいと住民から要望もあって、水没した住宅などがそのまま保存されています。画像の手前の家は1階の半分、奥の家屋はほぼ屋根まで土砂に埋もれています・・・この生々しさは半端な気持ちを引き締めてくれました。

この風景を見下ろす位置に郷見庵と言う地元産物の直売所兼休み処があります。こんな象徴的な位置に交流場所になるであろう郷見庵を設置するあたり、住民の皆さんの復興プランに並々ならぬ決意を感じます。

震災から6年。山古志はかなり復興したように見えます。しかしじっくり見るとそこここにまだ爪痕が残ります。崩れたり流された道の代替ルートがまだ真新しいのも却って生々しい。そんな中、郷見庵のおばぁちゃんや山古志サテライトセンターの職員の方、遊んでいる子供たちが笑顔で明るかったのが嬉しかったですね。

東日本大震災は大きな被害をもたらしました。そこへの支援や義捐金、ボランティア活動も多く行われています。しかし、6年半経った山古志もまだ完全復興までは至っていません。東北も長い目で支援の輪を広げ続けることが大事なんだな、と痛感した次第。

何か混沌とした自分の心を整理する意味でも、今回は非常に良い旅になったかなと思っております(´ー`)

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この記事へのコメント

2011年05月02日 18:56
山古志に来ていただき、ありがとうございました。山古志もそうだったのですが、多くの皆さんに支えられてここまでこれたと思っています。自然の力はスゴイけど、人の力もスゴイということを今も感じています。今回の東日本大震災で被災された人たちからもこんな想いを持っていただけるように、私たちも少しずつですが応援していきます。
2011年05月03日 10:52
>あっちゃんさん
今回、山古志を訪れていろいろと考えることができました。東日本大震災もそうですが、確かに自然の力ってのは時に人間の想像を遥かに超えることがあります。でも人間の力だって相当なものです。神戸も中越も能登も人間の力で復興したんですよね。

被災しなかった自分にできること・・・少しずつでも長い目で各地の復興を応援・支援すること、ですね。

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